西城秀樹がスターだったことはちびまる子ちゃんから教えてもらった。

「この本おもしろいから」と姉に渡された一冊の本の作者名にさくらももこと書いてあった。

小学生の頃、一番好きなのはドラえもんでその次がしんちゃん、その次がサザエさんで、1番興味がなかったのは、ちびまる子ちゃんだった。

彼女が漫画家だったことは知っていったけれど、作家であることはもちろん知らなくて、夏休みの宿題に読書感想文に悩んでたときに姉が進めてくれたのが、「あのころ」という一冊。

あのころ、活字なんて興味がなかった自分に、文章だけで、こんなにも人を笑わせる、そんな彼女の世界観にどっぷりハマり込んだ。

その後、貸してもらったのは、「ももこのいきもの図鑑」ペットを飼えない自分にとっては、たまらない一冊で、あの作品の中のすずめ、アリ、カブトムシ、本当にどれもこれもがおもしろくて、鉛筆が止まることもなく、読書感想文を終えたことを覚えてる。

 

自分が、さくらももこのエッセイにはまったことを悦に浸った姉は、図書館でとびっきりのオススメを借りてきて、俺に渡した。

「アニメだと、ともぞうは素敵なおじいちゃんだけど、そこに真実が書いてあるから」

そう言って、読みだした本の中に描かれたのは、「メルヘン爺」

人の死、しかも、身内の死をあそこまでおもしろく、皮肉に描く、あのころはもちろん知らなかったけれど、やっぱり批判もあったらしい。

それでも、彼女は自分の真実を描いて、日曜日の夕方6時に、自分の理想と思い出を描いた。

多分、人生で1番好きなエッセイストに違いないし、あの人の描く人生がもう、見れないのはやっぱりちょっとさみしい。

 

仕事ばかりの母親、仕事ばかりの姉、学校に行くしかない俺、土日は離婚した父親のために、毎週会いにいった。

大好きな母親と姉の3人が唯一揃うのは、日曜日の晩御飯の少し前、歌丸がまた来週と言いながら、あのテーマが流れ出すころだった。

聞きなれた、イントロと家族3人で食べるご飯、また月曜日が始まることに絶望しながらも、そのことを少しだけ忘れさせてくれる瞬間がテレビの前に広がっていた。

俺と姉は知っていた。ともぞうが実はクズみたいな人間だったということを、それを得意そうに話す2人に適当に相槌を打つ母親も。

 

テレビに映る、おじさんを見て、誰なんだろうと疑問を持ったとき、姉が教えてくれた。

「ちびまる子のお姉ちゃんが好きな人」

母親が言う

「昔、すごくカッコよかったのよ」と

誰しもが、もう、あのころには戻れない、いつからか、ドラえもんもしんちゃんも、サザエさんも、そして、ちびまる子ちゃんも見なくなった。

家族3人でご飯を食べることもすっかりなくなった。

田舎に帰った母親、結婚した姉、唯一、生まれた場所に残り続ける俺。

バラバラになったけれど、あのころの思い出は今もちゃんと残っている。

 

これから先、どうなるかわからないけれど、願わくば、大切な家族とあの日曜日を過ごしたい。

美味しそうな匂いと、高らかなイントロと、迫り来る月曜日に怯えていたあの夕方の6時に。

 

ふぉーえばーチャットモンチー

東京に初めて行ったとき、東京ハチミツオーケストラを流しながら、これが東京なんだ!すげぇ!俺、ここでビッグになる!

なんてことは自分の人生にはなかったけれど、ふと、彼女たちの歌を聴くと、そんな未来があったのかもしれないと思えてしまう。

チャットモンチーが完結してから、日本の空は泣き続けている。

えっちゃんも泣いて、福岡晃子も泣いて、どこかできっと高橋久美子も泣いていたのかもしれない。

あーなんて寂しい夜なのだろうか。

もっと、もっとチャットモンチーを好きでいればよかった。そう思えるぐらい、最後のワンマンライブは切なくて、激しくて、感動的だった。

ガールズバンドはどうしようもなく切なく感じるのは、少女だった彼女たちが女性になるという、変化が確実に生じるからだと思う。あの頃のままで歌い続けることなんて、できない。荒くて、疾走感任せの音楽をずっとやっていければ、なんて甘くなくて、沢山の変身を繰り返し続けたチャットモンチーは完結を迎えた。

もう会えないってこんなにも切ないことなのか、何でもない毎日が本当は記念日だったって今頃気づいたんだと、彼女たちは最後にそう歌った。映画でも音楽でも小説でも、色んな作品の中に、そんなメッセージは込められて、こんなくだらない毎日もそんなふうに生きてみようと思うけど、やっぱり忘れてしまうのが人間という生き物で、だから、こうやって、作品を通して、当たり前の毎日の大切さに気づこうとするのかもしれない。

 

チャットモンチーにありがとう。